畠山 昌則
北海道大学大学院薬学研究科助手
北海道大学 遺伝子病制御研究所 分子腫瘍分野 教授
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略歴
1956年 北見市生まれ
1981年 北海道大学医学部卒業
1986年 北海道大学大学院医学研究科内科系終了(医博)
1986年 大阪大学細胞工学センター助手
1991年 マサチューセッツ工科大学(MIT)博士号取得後研究員
1995年 (財)癌研究会癌研究所ウイルス腫瘍部部長
1999年 北海道大学免疫科学研究所教授を経て、現職


1. 胃がんについて

がんは、悪性細胞が無秩序に増殖しヒトを死に至らしめる恐ろしい病気です。胃がんは世界中でもっとも多く発症するヒトのがんです。中でも日本人は胃がんの発症率・死亡率がきわめて高く、我が国では年間10万人が新たに胃がんと診断され、5万人が毎年胃がんで命を落としています(男性は肺がんについで2位、女性は1位)。したがって胃がんは日本人にとってもっとも身近で深刻ながんであると言えます。ここ数年の研究から、胃がんの発症にヘリコバクタ−・ピロリ菌(以下、ピロリ菌と略します)感染が決定的に重要な役割を担うことが明らかとなってきました。本講演では、胃がんとピロリ菌との関連、日本人に胃がんが多い理由、さらには日本(さらには世界中)から胃がんを駆逐するための戦略をお話したいと思います。



2. ピロリ菌について

ピロリ菌は1983年にヒトの胃の中から新たに発見された細菌(バクテリアです)です(図1、図2)。ピロリ菌は胃という強い酸性環境下で生き延びるための特異な能力を獲得しています。驚くべきことに、ピロリ菌は世界人口の約半数に感染しており、我が国でも約6000万人がピロリ菌保菌者と推察されています。特に50歳以上の年令層では感染率は80%-90%以上にもなります。ピロリ菌は幼少期に保菌者である母親(ないし父親)から経口感染すると考えられていますが、感染経路はまだ完全に解明されているわけではありません。ピロリ菌感染は慢性胃炎や消化性潰瘍を引き起こします。さらに最近の大規模な疫学調査から、胃がんはピロリ菌感染を基盤に発症してくることが明らかになってきました(図3)。動物実験でも、スナネズミの胃にピロリ菌を感染させると胃がんができます。

図1 ピロリ菌は長径2μ程度のらせん状細菌で、数本の鞭毛を持つ。この鞭毛を旋回させることにより胃粘液内を前進、後退する。
図1 ピロリ菌は長径2μ程度のらせん状細菌で、数本の鞭毛を持つ。
この鞭毛を旋回させることにより胃粘液内を前進、後退する。


図2 胃上皮細胞表面に接着したピロリ菌の電子顕微鏡写真
図2 胃上皮細胞表面に接着したピロリ菌の電子顕微鏡写真


図3 ピロリ菌感染が引き起こす胃粘膜病変
図3 ピロリ菌感染が引き起こす胃粘膜病変


3. ピロリ菌が胃がんを引き起こすメカニズム

ピロリ菌はcagA (キャグ エー)という遺伝子(たんぱく質を作る設計図)を持っています。このcagA遺伝子から作り出されるCagAタンパク質は、ピロリ菌の表面に存在するミクロの注射針を通して菌が接触した胃細胞の中に直接注入されることがわかりました(図4)。細菌のタンパク質がヒト細胞の中に侵入するという現象はこれまでほとんど知られていません。胃の細胞の中に注入されたCagAは「トロイの木馬」のように活性化され、胃細胞の増殖や運動をコントロールしている細胞内シグナルネットワークを勝手に動かしはじめます。その結果、胃の細胞は異常な増殖(細胞の数が増えること)や運動(細胞が移動すること:転移にもつながる)を引き起こします。ピロリ菌が感染した胃の中では、CagAによるこうした細胞の障害が数年から数十年という長い感染期間を通して持続し、最終的に胃がんが作りだされるものと考えられます。

図4 ピロリ菌CagAは胃上皮細胞に直接注入された後、細胞内で活性化(チロシンリン酸化)されSHP-2ホスファターゼに代表される細胞内シグナル伝達分子を脱制御する。
図4 ピロリ菌CagAは胃上皮細胞に直接注入された後、細胞内で活性化(チロシンリン酸化)されSHP-2ホスファターゼに代表される細胞内シグナル伝達分子を脱制御する。


4. 日本人に胃がんが多いわけ

日本人に胃がんが多い理由はおそらく単一ではありません。胃がんになりやすい民族的な遺伝的素因の存在、日本人独特の食生活(高塩食)などの関与は想像に難くありません。一方、cagA遺伝子の解析から、日本人に感染しているピロリ菌が保有するCagAタンパク質は、日本にくらべて胃がんがはるかに少ない欧米諸国に蔓延しているピロリ菌が保有するCagAに比べて、胃の細胞内シグナルネットワークをより激しく撹乱する能力を有していることがわかってきました。すなわち、日本人に蔓延するピロリ菌はより胃がんを引き起こしやすい悪玉ピロリ菌であり、これが我が国における胃がんの多発と密接に関連していると考えられます。

5. 胃がんは駆逐できるがんです

胃がん発症にピロリ菌感染が必要不可欠であるとうことは、逆にピロリ菌を除菌することにより胃がんは防げることを意味します。ピロリ菌は抗生物質で容易に殺すことができる細菌です。我が国に現在6000万人いると推定されるピロリ菌感染者全員に除菌を施行することにより、この集団から今後20—30年の間に予測される300万人—500万人の胃がん患者発生を未然に防ぐことが可能になります。ピロリ菌の積極的な除菌を介して、かつての結核のように我が国(さらには世界中)から胃がんを撲滅することも夢物語ではないのです。

参考文献

  1. 畠山昌則:腫瘍学総論、病態病理学、南山堂 2004
  2. 大西なおみ、畠山昌則:わかる実験医学シリーズ「癌のシグナル伝達がわかる」35-42, 2005
  3. 「ホヤの網羅的遺伝子発現研究の展開」安住薫 月刊海洋 No.41 2005年

  4. 畠山昌則:血液・腫瘍科 48, 235-242 (2004)
  5. 東 秀明、畠山 昌則:細胞工学 23, 551-555 (2004)
  6. Hatakeyama, M: Nat. Rev. Cancer, 4, 688-694 (2004)